有賀啓雄 Nobuo Ariga
音楽プロデューサー 作詞 作曲 編曲 ベーシスト
1964年10月14日生まれ 東京都出身
中学1年の頃に同学年の生徒に何もわからずベースをやれと誘われ始めるも、
あまりの上達の速さに調子に乗り(今思えばそう思い込んでいただけ)
中学を卒業した後はこれで食べていくと決める。
その頃組んでいたバンド EXPRESS でヤマハ主催のEAST WEST81にて
ジュニア部門でグランプリ獲得するも全国大会でチェッカーズに敗れる。
カシオペアの弟分的にアルファレコードからデビューしそうになるが結局没に。
その後、崎谷健次郎のバンドVISIONがデビューアルバムを録音し終わってからの参加、
ジャッケット撮影には間に合ってますが中身には僕の音は入っていません。
基本その頃からバンドをやりつつもセッションミュージシャン的な思考に変わって行く。
そしてライブのサポートで福島邦子、庄野真代などを手伝っていた頃、
原田真二&クライシスに加入、おそらく18歳くらいだったはず。
その後レコーディングセッションの仕事も増えて行く。
初めてレコード店に並ぶ物を体験したのは
高橋幸宏プロデュースの安田成美アルバム(ナウシカが入っているアルバム)でした。
勿論買いに行って自分の名前のクレジットを見てニンマリする。
そこからベーシストとしてスタジオセッションをかなりやってましたが、
段々と仕事の範囲が広がり始めて、アレンジやプロデュース的な仕事も
するようになって行きました。
それは何故かというとアレンジのプレゼンで作ったデモが回り回って山下達郎氏の耳にとまり、
ソロデビューするところまで行きます。
そしてなんと3枚もアルバムを出してしまうのです。
それと並行して宮崎ますみのデビューシングルがアレンジャーデビューで
鈴木雅之、岡村靖幸、渡辺美里、米米CLUB、池田聡、中西圭三、吉田栄作、
Coco、薬師丸ひろ子、KinKi Kidsなどからアレンジの仕事もスタートさせます。
その後はアルバムをプロデュースもするようになり、藤井フミヤ、米米CLUB、ICE BOX、
金子マリ、伊勢正三、渡辺美里、松坂智幸、オセロケッツ、かとうれいこ、圓子まどか、SANISAIなど、
それと並行してベーシストとしてのサポートでコンサートツアーに参加して、どっぷり付き合って来たのは、
渡辺美里、槇原敬之、藤井フミヤ、そして現在も続いています小田和正です。
さてここからですが、自分の音楽を色んな形で発表するべくこのサイト、ごまふレコード。を立ち上げました。
Wikipediaも参考になります。